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2015年9月 2日 (水)

それでも終わらないエンブレム問題

佐野氏と一蓮托生という姿勢を示していた組織委員会が,一転してエンブレムの使用中止を決断し,事務総長の武藤敏郎氏による記者会見が行われました。また,佐野氏もHPでコメントを発表しました。ちょっとこれについて考えてみます。

1 組織委事務総長武藤氏の会見

  (http://www.jiji.com/jc/v4?id=201509emblem0001

武藤氏は初代財務事務次官。民主党の反対がなければ日銀総裁になっていたかもしれないという,ザ・官僚という人物です。原稿も見ずに淀みなく口を出る霞が関文学,記者の質問にもブレなく回答するお姿はお見事で,久しぶりに官僚の答弁のお手本を見た気がする,その意味では誠に素晴らしい会見だったと思います。

しかし,佐野氏がエンブレムの展開例として提出した空港の写真について,流用したことを認めた上で,

  審査委員会のクローズドな場では、デザイナーとしては
  よくある話なのだそうだが、公になるときは権利者の了解を得ることが
  当然のルールだが、これを怠った、不注意だった

という,著作権法的には誤った説明をしたことをそのままあの場でおっしゃったことも含め,法的にはどうかな,と思う点がいくつかありました。

(1)コンセプトが違うから似ていない(同一性・類似性の否定)

まず,エンブレムとベルギーのロゴはコンセプトが違うので似ていない,という主張を再三にわたり繰り返していました。従前から組織委員会が行っていた説明です。しかし,前にも書きましたが,コンセプトの違いはエンブレム自体から直ちに理解できるものではありません。

五輪エンブレムについて「TとLを組み合わせたものだ」と説明をすることも,ベルギーのロゴについて「Tと円から構成されている」と説明をすることも,不可能ではありません。

要するに,シンプルなデザインについては,コンセプト,出発点が異なっても,似たデザインに帰着することはあり得るわけですから,帰着したデザインが似ているという指摘に対して,コンセプトが違うという反論をしても議論は永遠に噛み合うことはありません。

ところで,武藤氏は,エンブレムの原案とヤン・チヒョルト展の旗のデザインの関係については,やや歯切れの悪い説明に終始していました。

しかし,この2つもコンセプトが違うという意味ではエンブレムとベルギーのロゴの場合と全く同じですから,この歯切れの悪さは一貫性がないといわれても仕方のないことではないかと思います。

原案とエンブレムのこのような対応の違いは,ベルギーのロゴは見ていないという弁明が可能だが,ヤン・チヒョルト展については佐野氏が現地に足を運んでいる以上,見ていないという弁明ができないということに起因するのではないかという気がするところです。

(2)オリジナルである(依拠性の否定)

著作権侵害の要件は同一性・類似性と共に依拠性が必要です。コンセプトが違うという上述の説明は,ベルギーのロゴを模倣したわけではない,オリジナルであるという,依拠性を否定する趣旨の説明にも通じます。

ただ,武藤氏はこの依拠性についてはあまり強調しておられません。佐野氏がベルギーのロゴは見たことはないと言っており,これについて特に疑わしい事情もなく,依拠性について立ち入った議論をする必要はないとの判断によるものと思います。

ただ,この判断が国民の理解を得られない一因であるということの認識はお持ちでないように思いました。

(3)国民の理解が得られない

上記(1)(2)は著作権侵害の要件を否定する説明です。つまり,武藤氏は,今回のエンブレムには法的な問題はないということを強調したかったわけです。また,法的な問題はないから訴訟でも勝算はある,だから提訴されたから使用を中止するわけではない。ここも武藤氏が強調していた点です。

現在訴訟が継続中ですから,組織委員会としてはここはぶれてはいけない点です。必死で強調してきたのも当然でしょう。

その上で,国民の理解が得られないこと,佐野氏が取り下げを申し出たことから使用を中止するというのが武藤氏の説明でした。

では,国民の理解が得られなかった原因はどこにあるでしょうか。

私は組織委員会,そして佐野氏の説明が不十分であった,もっと言えばピントがずれていたからだと思います。そして,おそらくはベルギー側が提訴に踏み切ったのも,組織員会,そして佐野氏の説明が不十分でピントがずれたものであったから,理解,納得ができなかったからであろうと思います。

著作権侵害の要件を満たすかどうかはともかく,五輪エンブレムとベルギーのロゴを見たら,両者が似ているという印象を受けるのが普通だろうと思います。

なぜ似ているという印象を受けるのかというと,五輪エンブレムにはベルギーのロゴにはない要素はありますが,ベルギーのロゴに含まれている主要な要素は,モノトーンであるという点を除けば,全て五輪エンブレムに含まれているからです。

ベルギーのロゴは洗練されたシンプルなものですから,模倣しなくても似たものになってしまうことはあり得ることです。しかし,これだけベルギーのロゴの主要な要素がそのまま含まれているエンブレムを目にしたら,一般の人が模倣したのでは,という疑いを抱いてもおかしなことではないように思います。

ドビ氏が,自分のデザインが模倣されたと感じ,不快に思ったこと自体は不合理なことでも,奇異なことでもないように思うのです。

組織委員会,佐野氏の一連の会見,コメントは,著作権侵害の要件である同一性・類似性の要件を否定することに躍起になるあまり,この出発点を見誤っていたように思います。

(4)どうすれば国民の理解を得られたか

私が国民の代表者という訳ではありませんから,こんなタイトルで書いてはいけないかもしれませんが,こうしておけばここまで騒ぎが大きくならなかったのではないかという観点から考えてみましょう。

ア 「似ている」ということからスタートする

まず,似ているという出発点に立つことです。組織委員会や佐野氏が執拗に繰り返した「似ていない」という発言は,著作権侵害の成立要件である同一性・類似性の要件を満たさないという意味では間違ってはいないのですが,一般的な感覚とはかなりずれがありました。

言葉が過ぎるかもしれませんが,法律的には常識でも一般的な感覚からすると極めて非常識な説明であっただろうと思います。

この非常識さに対する違和感が国民の理解を得られなかった,そしてベルギー側を提訴に踏み切らせた一因だろうと思います。

イ ベルギーに対する敬意と謝意を表明する

では似ているという前提に立った場合,どのような対応をすることになるでしょうか。

ベルギーのロゴは,プロのデザイナーがデザインをし,王立劇場という施設の顔(ロゴ)として現に使用されている作品です。佐野氏であれば同じクリエイターとしてお互いに敬意を表し合うべき相手であり,作品です。

ドビ氏の最初の指摘は「似ている」ということであって,「剽窃した,模倣した」と即断するものではありませんでした。その意味で佐野氏を侮辱するようなものではなかったというのが私の印象です。

クリエイターの世界,特にデザインの世界では,模倣したわけではないのに他人の作品と似た作品ができてしまうということは避けられないことですし,そのこと自体は非難されるべきことではありませんし,もちろん法律的にも問題はありません。

でも結果的に似た作品を作ってしまったという場合,法的責任はひとまず措いておき,相手に対する謝意を,そしてその前提として相手,その作品に対する敬意を表明するのがあってしかるべき対応ではないでしょうか。

社交ダンスの競技会で,他のペアとぶつかってしまうことは避けられませんが,だからといってぶつかった時に,自分に責任はないからと何も言わずに過ごしてよいわけではありません。やはり相手に対する礼節を尽くす,それによって競技会の,そして社交ダンスの品位が保たれているように思います。クリエイターの世界も同様ではないかという気がします。

ハ 「産みの苦しみ」を説明し,理解と容赦を求める

敬意と謝意を表明したら,今度は自分が相手の作品を模倣したわけではないと説明し,理解と容赦を求めることになります。

法律的には「模倣した」つまり依拠したということはクレームをつける側に主張立証責任があります。ですから,自ら積極的に創作過程を説明する法的な義務はありません。しかし,そのような法律論から離れた対応ということになります。

そして,模倣したわけではないという説明として,自分がどうやってこの作品に至ったのかを説明することになります。

今回のエンブレムについて言えば,例えば,

  • どういうコンセプトからスタートしたのか
  • そのコンセプトに基づきどんな案・候補を作り出したのか
  • その中からどうして今回の作品の土台となった案を選んだのか
  • その案についてどのような意図のもとにどのような修正を加えたのか

といったことを説明することになるでしょう。

作品の創造過程は,出来上がった作品に向かって一直線につき進む,というものではありません。特に今回は五輪エンブレムという,佐野氏によれば自分の夢であった公募に応募する作品です。一瞬のひらめきという要素もあるでしょうが,逡巡したり,試行錯誤したりして,他の選択肢を切り捨てるという創作の歩みを刻んだはずです。

その「産みの苦しみ」の説明を受け,このエンブレムが,結果的にベルギーのロゴと似てはいるものの,佐野氏自身の血と汗の結晶であるということを多少なりとも理解することができれば,国民,そしてドビ氏の反応は少し違ったものになっていたのではないか,そんな気がします。

(5)なぜベルギー側は提訴したのか

ベルギー側は提訴という手段を選びました。ベルギーの法律でどう判断されるかわかりませんが,少なくとも日本法による限りベルギー側の勝訴の可能性は低いでしょう。にもかかわらず,ベルギー側が提訴したのはなぜか,そこを考える必要があります。

もちろん,ベルギー側が提訴したのは,「模倣された」と思ったからであり,その疑念が払しょくできなかったからです。結果的に法律的には同一性・類似性の要件を満たさず,敗訴するとしても,自分の作品が模倣されたのどうかは,「産みの苦しみ」を経たクリエイターにとっては重大事です。訴訟の勝ち負けとは関係なく,模倣されたのかどうかを確かめたい,そのために佐野氏に創作過程を説明してほしい,それを説明してくれないのであれば,裁判所に引きずり出してでも直接問い詰めたい,それが提訴の理由だと私は思います。

敗訴するとわかっていて提訴するのは合理的ではないかもしれませんが,クリエイターの心情としては十分理解できる気がします。

逆に言えば,上述したような創作過程を説明していれば,ベルギー側による提訴は避けられただろうと思うのです。

2 佐野氏のコメント

  (http://www.mr-design.jp/

佐野氏も事務所のHPにコメントを掲載しました。今回のエンブレムのことはさておき,著作権に対する配慮に欠けた作品作りをしていたことは否定できないものの,やや集団リンチ的な有形無形の攻撃にさらされた佐野氏,そしてそのご家族の境遇には同情を禁じ得ません。

佐野氏に弁護士がついていることは既に明らかになっていることで,このコメントも弁護士によるチェックを経てのことだと思います。

内容を見ますと,自身の置かれた厳しい状況と共に,

  • エンブレム以外の仕事について,「改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫びいたします。」
  • エンブレムの取り下げについて,「図らずもご迷惑をおかけしてしまった多くの方々、そして組織委員会の皆様、審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。」

との言葉が綴られていますが,ベルギー側についての言及はありません。IOCとの間で訴訟が継続中という事情はありますが,法的責任から離れ,ドビ氏に与えた不快感に対する謝意,理解を求めたいといった言葉がないのはどういう理由なのでしょうか。ややベルギー側を軽視し過ぎではないかという印象です。

3 さて,これから~それでも終わらないエンブレム問題

エンブレムの使用中止が決まりました。ベルギー側が求めていたのはエンブレムの使用中止ですから,使用を中止すれば訴訟も取り下げにより終了する,関係者の補償問題などは残るがこれで一件落着,組織委員会も佐野氏も,そう思っていたことでしょう。

しかし,そうは問屋が卸さないようで,ベルギー側は訴訟を取り下げるつもりはなさそうです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150901/k10010212531000.html

このことからも,ベルギー側の提訴の真の目的が,エンブレムの使用中止にあったわけではないこと,つまりエンブレムの使用中止を命じる勝訴判決が得られると思っていたわけではないことがわかります。

ベルギー側が知りたいのは,模倣されたのかどうかなのです。

しかし,組織委員会も,佐野氏も,このことは全く説明しようとしません。説明しないといけないという問題意識もなさそうです。

それはなぜか。法律的に創作過程を説明する責任は自分たちにはないからです。つまり,彼らが相談している弁護士が,その必要はないというアドバイスをしているのだろうと思います。

武藤氏の会見でも,「使用中止をするのはベルギーの裁判があったからではない」ということを強調されていました。ベルギーの裁判は受けて立ち,判決まで突き進み,勝訴すればよい,そういうお考えなのでしょう。

ベルギーの法律が日本法と同様であれば,裁判において自分たちは創作過程を説明する必要はありませんから,恐らく一連の会見と同様,「似ていない」,「ベルギーのロゴは知らない」と自動音声メッセージの再生をしていれば勝訴判決が出ることでしょう。

しかし,そんな形で勝訴することが日本の文化にとって良いことなのか,もう一度考える必要があります。

新しいエンブレムについては再び公募をするようです。苦労して決まった新しいエンブレムについても,模倣という疑惑が生じた場合,組織委員会はどういう対応をするのでしょうか。今回と同様の対応に終始し,同じような騒動に発展させてしまうのではないか,組織委員会の,あまり反省しているようには思えない会見を見ているとそのことが心配でなりません。

法律論はともかく,ほんの少し,ドビ氏,そしてベルギーのロゴへの敬意と,その心情に配慮した対応をしていればこんなことにはならなかったのに。ここまで騒動が大きくなった原因が法律論,そして(ないとは思いたいですが)弁護士のアドバイスにあるとしたら,法律家としてはとても残念に思うところです。

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