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2015年12月17日 (木)

大法廷判決を踏まえて夫婦別姓についてもう一回考えてみた

夫婦別姓の問題が大法廷で審理されることになったことを受けて、今年の2月にこのブログで少し書いたことがありました。

http://kuwano.tea-nifty.com/lawyer/2015/02/post-235e.html

今回の判決では、氏について、「個人の呼称」のみならず「家族の呼称」であるという表現が何度か出てきます。立法当初は家制度と結びついた「家の呼称」だったものを、現代における「家族の呼称」として評価しているように思います。

なるほど、と思う反面、「家族」というものには法律上明確な定義があるわけではありません。現在の民法規定は、偶然にではなく、一定の血縁関係又は意思に基づいて同じ氏を呼称とする至った個人の集団を「家族」としているとも考えられるようにも思います。だとすると「氏が家族の呼称だ」というのはトートロジーのようにも思えるところです。

前にも書いたとおり、私は家族として生活する意思と実態が大事であって、血縁・氏は絶対要件ではないように思います。

最近見た「母と暮せば」という映画では、

 ・ 原爆で息子を失った「母」

 ・ その身の回りの世話をする息子の「元婚約者」

 ・ 終戦から3年が経ち、その元婚約者と知り合った「男性」

が登場します。いずれも戦争で身内を失った孤独な人物です。

まだ映画を見ていない方のためにこれ以上は書かないでおきますが、仮に「元婚約者」が、「男性」との新たな人生を歩もうと思った、でも「母」を一人にするのは忍びない、そう思い、「男性」と「母」と3人で寄り添って、支えあって暮したとしたら、それはそれで立派な家族じゃないか、という気がします。

ただ、今回の判決は縷々批判はされていますが、選択的夫婦別姓にもかなり配慮していますし、いろいろな目配りをしているとは思います。

夫婦同姓が違憲か、と裁判所に問えば、今回のような判決になるのもやむを得ないか、という気もするところです。

ただ、以下は前回書いたことの繰り返しですが、

   夫婦同姓か/ 選択的夫婦別姓を導入するか

という議論では、

   戸籍上は夫・子供と同姓になりたいが、仕事などでは引き続き旧姓を使いたい

という希望は叶えられないということです。

通称としての旧姓使用が、それを認めればいいではないか、という主張が20年以上前からなされているにもかかわらず一向に進まないこと、その問題も非常に大きい、むしろそちらが本質ではないかという気がします。

今回の判決では、違憲という反対意見が出たことに加えて、多数意見も選択的夫婦別姓自体が憲法上容認されないものではないという点も明確に示しているように思います。やはり国会を通じた民法改正という王道を進むしかないのでしょうね。

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